漂流生活
2015-09-28T03:40:53+09:00
tacca531
漂流するわたしの漂流生活 in Delhi。
Excite Blog
2015年・真夏の自由研究(3) 後編
http://hyoryu.exblog.jp/24940565/
2015-09-29T10:00:00+09:00
2015-09-28T03:40:53+09:00
2015-09-28T03:40:53+09:00
tacca531
いろいろ
「あのね、もし全然わからなくてダメだと思ったら、試験の部屋にいる係の男に合図をするんだ。こいつがコッソリ手伝ってくれることになってるから、部屋に入ったら書類をわたす時に、「わたしの番号は32番です」って言うんだよ。そうしたらマダム達がうちのクライアントだって向こうが気付く。ヒンディー語わかる?練習しとこうか?メーラー ナンバル バッティース ハェー、 はい繰り返して!」
「…めーらー なんばる ばってぃーす はぇー」
「そうそう!こっちのマダムは33番だから、メーラー ナンバル テェンティース ハェー。はい!」
「めーらー なんばる てぇんてぃーす はぇー」(もうこの時点で笑いを堪えすぎて腹筋がピクピク)
でもその係の人、どの人なのか私達にはわからないよ?必ずその人が部屋にいるの?何人もいたらどうするの?
「ああ、大丈夫。今写真を見せてあげるから…。この男だよ!」と、見せられたスマホに映っていた写真は思いっきりサングラスをかけていて、全然顔なんてわからない。アハハハ〜。
まあ、きっと、多分、何とかなるだろう!
まあ、きっと、多分、何とかなるだろう!
再び運輸局のオフィスに戻り、試験の会場へ入る。デスクトップパソコンが10台ほど並んでいて、それぞれそれを使って試験を受けるのだ。
今回教習所から試験の教材を貰って知ったのだけれど、このインドにも一応しっかりとした交通法規があって、内容は日本とさほど変わらない。横断歩道では歩行者がいたら一旦停止する、とか、交差点の近くでは駐車禁止、とか。ただ単に、それが全然守られていないだけなのだった。だから、日本の交通ルールがわかっていたら多分合格できるだろうと思っていたけれど、一応サルダール兄さんが言っていた係の男の人を確認する。受験票を渡しつつ、係員の顔を見ると、多分、あくまでも多分だけど、この人が「彼」なんだろう。さすがにここじゃサングラスしてないよね。後で入ってきたN子さんと、練習通りに「めーらー なんばる ばってぃーす はぇー!」と自分の番号を伝える。が、相手からは特に何の反応もない。良いのか、コレで。
さてパソコンの前に案内され、いよいよ試験。画面に映し出される問題(3択)の正解だと思う番号の上をマウスでクリックする。日本のような引っ掛け問題はなかったように思うけれど、落ちたら嫌だ(またここに来たくないぞ)!と思って必死で読んで答えをクリック。すると、突然画面に「おめでとう!合格!」の文字が。
わーい、受かった!良かったー!
部屋の外でN子さんと会って聞いたら、彼女も無事合格していた。が、ひとつだけわからない問題があったので、例の係の人にヘルプを求めようと目配せをしてみたけれど、まったく無反応だったそうだ。受かったからいいけど!
「あ、合格?良かった良かった。え、係の奴手伝ってくれなかった?わからなかったのかなー、まあいいよね合格だし」と言うサルダール兄さんに午後の仮免の受け取りを託し、私達は車を降りて帰途についた。達成感3割、疲労感7割くらいかな… とりあえず終わって良かったね。ホント、ひとりじゃなくて良かったよ…。
お疲れ様、と言って別れてすぐN子さんからメッセージが入った。何でも、彼女はその日の夕方から早速教習が始まることになったそうな。まだ仮免、手許に来てないじゃん…。
それから毎日彼女の路上教習は続き、無事に19コマを終了した。聞いたところ、教習車には助手席側にブレーキだけでなく、クラッチやアクセルまで付いているらしい。なので教官のオジサンがハンドルとギア操作以外はやろうと思えばできてしまうため、「ホントにどこまで自分で運転できてるか、わからない」そうである。大丈夫か?ついでに「ねえねえ、サイドミラーに教官の顔が映ってるんだけど、あれって何のためになのかな〜?」と超天然な彼女が言った時には、インドの自動車教習システムを何とかせねば、この国の交通事故は増える一方だな、と心底思ったっけ。ミラーの角度は自分で変えましょうねー。
で、本免の試験がいよいよ近づいてきた頃、困ったことがひとつ。どうも、実技試験は「車・バイク持ち込み」で行われるらしいのだ。ええ?ウチ、バイクはともかく、車ないですけど?借りるって言ったって、すぐぶつけそうなデリーで友達に借りたくないよー。だって試験コースって普通の路上でしょ?…すると、教習所から「ああ車の手配も何とかしますよ、マダム。でもね、追加料金をいただけたら、試験自体を受けなくて良いですよ」
来た来た〜インド的なのが。先の選挙でデリー政府は政権が代わり、汚職一掃をうたってキャンペーンして頑張ってるけど、まだまだ網の目はくぐろうと思えば難しいことじゃないらしい。そんなデリーの闇世界に負けるわけにはいかない、とか意地をはるのはやめ、ここは大人しく追加料金を払って済ませることにしましたとも。どんな手を使ったのか知らないけれど、待つこと数日。本当に試験受けずに免許証が郵送されてきたのであった。
最後はあっけなかったけど、こうして無事に免許がとれ、しかも外国人なのになぜか50歳になるまで有効。良かった、しばらくはあの運輸局に行かなくていいぞ!←凄く嬉しい。
スクーター運転はまだ慣れずにヨロヨロしているけれども、ちょっとそこまでのお出かけは便利になった。ただ、この街の道路はすでに飽和状態で、ドライブを楽しむのは難しい。N子さんはというと、まだ旦那さまから運転許可が出ず、買ったばかりのマイカーには乗れていないそうである。そうだね、もうちょっと練習したほうが、いいかもね…。
しりつぼみながら、なかなか刺激にあふれた(?)経験ではあった。数ヶ月たった今でも、免許証を見ると「メーラー ナンバル…」のフレーズがふと脳裏に浮かんで、私を苦しめている。可笑しすぎて。
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2015年・真夏の自由研究(3) 前編
http://hyoryu.exblog.jp/24792714/
2015-08-15T19:20:00+09:00
2015-08-16T04:11:59+09:00
2015-08-16T04:11:59+09:00
tacca531
いろいろ
さて、真夏はすでに過ぎてしまったけれど、自由研究の発表がもう一つある。この夏一番のチャレンジでもあった。それは「テキトー女子と天然女子は果たして免許を取れるか」そして「デリー流運転技術を身につけることができるか」だった。
デリーの交通事情は凄まじくて、正直まさか自分がここで乗り物を操ることになろうとは思わなかった。そんな度胸ないもん。しかし相方がスクーターを買うと言い出し、私も乗れたら便利?かも?ということになり、折しも友人N子さんが運転免許を取るために教習を受けると言うので、一人じゃないから何とかなる!きっと!と、免許取得に動き出すことになったのだった。
ちなみにわたしは日本の普通免許を持っている。だから国際免許を持っていればインドでも運転できるのだけど、今のところすぐ日本に帰る予定もなく申請できないので、おとなしくインドの免許を取ることにした。教習所の事務所に友人と向かうと、「免許ね、オーケー。ところで運転したことある?」私は運転できるけど、N子さんはまったく経験がない(普通は運転したことないヒトが来るんじゃないのか〜)、と言うと、「ハハハまったく初心者?ハハハそりゃ大変だ。じゃ、あなたはそうだねえ19コマの教習ね。ところでヒンディー語わかる?よくわからない?まあ何とかなるよ」「で、あなたの方は申請手続きだけでいいね。まずは二人共仮免の試験に行くから、この教材読んで勉強しといて」
……という具合で、週明け交通運輸局のオフィスに行って早速仮免の試験を受けることになった。ちなみにインドは日本と違って、運転の教習はいきなり路上(怖〜)。だからまず、仮免を取らないといけないわけだ。仮免の発行から一ヶ月後、本免許の試験をうけることができる。
いざ仮免試験へ。
運良くN子さんと私は同じ運輸局事務所の管轄する地域に住んでいて、仮免手続きも二人で一緒に行った。教習所から言われていたのは、「書類一式を提出する」「交通ルールなどの試験がある」「世話役のサルダール(スィク教徒)の兄ちゃんが現地に居るから、心配ない」ということだったので、とりあえず着いたら教えられていたサルダールの携帯に電話。ゲート前にいるんだけど、と伝えると、小間使いらしき兄さんが迎えに来た。案内されたのは、少し離れた所に止められた車の中。ぽっちゃり体型のサルダール兄さんが書類に埋もれながら待っていた。
…独りじゃなくて良かったよホント。知らない車に乗せられた時点で心からそう思い、その後も数分おきくらいにそう思うことになる。サルダール兄さんから自分たちの申請書類一式を渡され、「言われた通りにするんだよ、マダム」と一通りの説明を受ける。まずは書類をオフィサーに見せて、OKのサインを貰う。多分あーだこーだ指摘してくるから、自分は外国人だからこの書類しか手元にないって言うこと。サインを貰ったら、次にその書類を持って別の部屋の窓口に行き、支払いと写真撮影、指紋登録などを済ませる。その後試験の会場へ行くよう言われると思うけど、無視してこの車に帰ってくるように。
「わかった?」
二人で頷き、車を降りてオフィスへ向かうと、そこはオジサン達の熱気で溢れかえっていた。聞いてはいたけど、朝一番なのにすごい行列だ。しかも99%は男性。それだけでも暑苦しいのに、空調がこれまた全然効いてなくて、着いたと同時に汗が吹き出す。
本当に、本当にひとりで来なくて良かった。どんな苦難が待っていても、2人ならば励ましあえるもの!
オジサン度99%の長い行列を見て泣きそうになったけれど、実はインドにはちゃんと「レディファースト」ルールがある。そう、女性はこの列に並ばなくても良いことになっているのだ。という訳で、ずいずいっと列をすっ飛ばしてオフィサーの部屋の入り口に張り付いて待つ。そして男性陣の殺気に怯むことなく、サッと横入り、もといレディファースト・ルールの順番で中に進むのだ。申し訳ないなーなんて思っていると、いつまでたっても中に入れないので、ここは「当たり前でしょー」と図々しく行かねばならない。
オフィサーから無事にサインをゲットし、次の行列も華麗にすっ飛ばして申請料金の支払い、写真撮影・指紋登録を済ませる。おお、順調!上出来ではないか。この調子でサクサク行きたい。
言われた通り、テストは受けずに一旦サルダールの車に戻ると、支払い済のレシートや書類一式を再びチェックされる。
「マダム、次は試験だよ。問題は全部3択で、10問中7問正解なら合格。勉強してきた?もし全然わからなかったら、今から僕の言う通りにすれば大丈夫だから」
ホントだろうな?
謎の初対面ぽっちゃりサルダールの車の中で、突っ込みたい気持ちでいっぱいの女二人だったけれど、長くなったのでとりあえずここらへんで、
{つづく}
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2015年・真夏の自由研究(2)
http://hyoryu.exblog.jp/24607613/
2015-06-21T02:10:59+09:00
2015-06-21T02:10:53+09:00
2015-06-20T19:07:00+09:00
tacca531
いろいろ
しかしデリーの夏は長いのだ。まだまだ続くのだ。あーもう。
いやいや心頭滅却すれば火もまた涼し…
というわけで、背筋をシャンと伸ばしまして、自由研究その2。
テーマは『書を嗜む』でございます。
国立博物館でカリグラフィーのワークショップがあると、お知らせを見たのが金曜日。
3日間のコースが始まるのが週明け月曜、申し込みは土曜日まで。
いそいで銀行に行って小切手を作って、博物館まで申し込みに行ったら、
領収書の申込番号はピッカピカの『1番』だった。
わたししか受講者がいなかったら、講師の先生とマンツーマンになるのかなー
と思ったけど、当日会場に着いたらなかなかどうして賑わっていて、
25人くらいは参加者がいたかな?
朝刊でワークショップがあるのを知って、直接来た人がほとんど。
博物館内の美術学院で学ぶ学生さんや主婦など。
さて、いよいよ初日。
1日5時間のコース、みっちりな感じがするけれども、
ここはインドなので勿論チャイとサモサとビスケットが配られて、ゆるゆると始まります。
博物館内で『カリグラフィー展・美術工芸品に刻まれたアラビア・ペルシャ文字』
という展示が行われているので、このワークショップもそれ絡み。
つまり、アラビア(系)文字の書道なのだった。
インドでもムスリム街に行くと時折見かけるウルドゥの文字。
パキスタンで使われている、右から左に読むあの不思議な文字のこと。
もちろん私にはまったく読めないけれど、前から興味があった。
講師の先生は、デリー在住の職人さんだった。
それぞれ後ろに飾ってあるのは、お二人の作品。見事。
石の彫刻専門。
木の彫刻専門。
ほとんどヒンディ語(というかウルドゥ語か)での説明だったので、
わたしの怪しい語学力では贔屓目にみても5,6割くらいしか理解できなかったけれど、
使う道具のお話やスタイル(いわゆるフォント)、アラビックとウルドゥの違いなどなど、
面白いお話が満載だった。
↑自分の頭文字'Ta'を石の方の先生に書いてもらった。
使ったのは木を平たく削って作ったペンと、インク。
自分でも少し練習したけれど、シンプルな道具ほど使い方が難しいのね。
角度やインクの量など、コツがつかめないと全然書けない。
きっとインド人にはウルドゥ語の基礎知識があるんだろうなあ、と思っていたけれど、
以外に読める人は少なくて、ムガル時代の美術史を研究している学生さん一人だけだった。
そこでふと思い出したのは、うちの近所の雑貨屋のおじいちゃんのことだ。
ちなみに短気でしょっちゅう色んな人とケンカをする一家なので、
うちではその店を『ケンカ屋』と呼んでいる。
以前何か買いに行った時、その店のおじいちゃん(70代くらい)が発注作業中で、
ちゃきちゃきメモをとっていたんだけれど、
ふと見たらウルドゥ語で右から左に書いていてビックリしたのだった。
わたしが住んでいる地域は、インド・パキスタンの分離独立の時に、
国境の向こうから逃げてきたパンジャーブ地方のヒンドゥの人たちが移り住んだところらしい。
だからたまに、「この人訛ってて何言ってるかわからないなー」という場合、
実はヒンディ語じゃなくてパンジャーブ語だったりするんだけれど、
ケンカ屋のおじいちゃんくらいの世代は、読み書きといえばウルドゥ語だったのかもしれない。
なにしろ独立する前はひとつの国だったわけだから、
ムスリムの人以外がウルドゥ語を使っていても不思議じゃないものね。
↑木彫りの先生に教えてもらいながら作った、自分と相方のイニシャル。
何十年ぶりかで木彫りなんてしたけれど、日本の版画用の板と違って、
硬いし目が粗いし、けっこう大変な作業であちこち身体が痛くなった。
残念な仕上がりになったのはそのためなんですよ、と言っておきたい。言い訳だけど。
これを彫る時、板が動くので足で踏んで押さえてトンカチ&のみと格闘していたら、
それを見た先生から「ダメだよ、そんなことしたら!」と言われた。
はて、何のこと?わたし何か間違ってる??と思ったら、
「自分の頭文字を、足なんかで踏んではいけない」ということなのだった。
頭文字じゃなかったら良いの?と思ったけれど、
ああ、アラビア文字というのは、コーランが書かれた文字だものね。
だから、文字そのものが神聖なのかもしれないなあ。
さて結果としては、3日間ほとんどペンではなくトンカチを握って、
木と石をひたすらカンカンコンコンと叩いていた気がするけれども、
なかなか楽しいワークショップでありました。
今度はもう少し、お習字的にいろいろ書いてみたいなあ…。
近所のマドラサで、子どもたちに混じって教えてもらえないかしら、
と結構本気で思っているところです。
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2015年・真夏の自由研究(1)
http://hyoryu.exblog.jp/24569809/
2015-06-09T19:18:00+09:00
2015-06-09T19:24:27+09:00
2015-06-09T18:10:11+09:00
tacca531
いろいろ
一年近く何も書いていなかったのだなあ。。。
インドの熱波が結構なニュースになっていたけれども、
毎年暑いから、正直今年がどんだけ暑いか良くわからなくなっている。
まあとりあえず、間違いなく暑いんだけど。
デリーの夏の過ごし方というのは、日光を避け、不必要な外出を避け、
ひたすら余計な体力を消耗しないことに尽きる。
犬飼いになってから、散歩のために自然と朝が早くなったけれども、
早朝といえどもタップリ1時間近く歩いて帰ってくると、全身汗だくだ。
ついでに年々酷くなっている大気汚染のせいで、フレッシュな朝の空気はちっとも味わえない。
大体お昼を食べたあたりでフラフラになって、糸が切れたみたいに昼寝してしまう。
当然、生産性なんてものはちょっぴりでも期待できないけれど、
この夏もただ日陰のキノコのようにじっとしたまま過ごすのも残念無念。
いんや、元気を出して、やりたいことをやるぞ〜。
日本より少し早めなのかな、インドではちょっと前から果物屋さんに杏が姿を見せている。
灼熱デリー周辺では栽培は難しいんだろうな〜、ヒマラヤに近い地方で採れたものらしい。
例年、梅干し代わりの「杏干し」を作っているけれども、今年は去年の在庫があるからお休み。
代わりに王道のジャムを作ることにした。
この時期、マンゴーやらスイカやらメロンやらも美味しいのだが、
わたしは杏の香りがやたらと好きなのだ。
ジャムを煮始めてわかったんだけれど、加熱する前のフレッシュな杏の香りに勝るものはない。
お砂糖と果肉を合わせて、水分が出てくるのを待っている数時間の間、
家中にただようその香りだけで、かなりハッピーになれる。
出来上がり。そんなに煮こまなくてもすぐに実がとろとろになった。
いっぱい出た種もせっかくなのでウォッカに漬け込んでみた。
アマレット(風)になる予定。
3ヶ月後くらいに試飲できるはず。その間誰かに飲まれてなければ。
種を割って杏仁を取り出し、すり潰すと杏仁豆腐ができる。
とは知っていたけれども、さすがに手間だなあ。
で、試しに一つトンカチでかち割ってみたら、何とまあ良い香り!
こ、コレは…やるしかないのでは…
で、カツーン!カツーン!と頑張っちゃった結果、ちゃんと杏仁豆腐が出来上がりました。
マンゴーと杏ジャムを添えて。うまし。
市販のアーモンドエッセンスより爽やかな香りだと思う。
杏仁は少なくても香りはしっかり出るから、ジャム作って種が出た人は、
ねじり鉢巻でトンカチ握って(?)ちょこっと頑張るべし。
というわけで、1.5キロの杏はすっかり食べ物(と飲み物)に化け、
かなりわたしを喜ばせてくれている。
あの素敵な香りを来年も楽しむために、せっせと消費せねば〜。
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犬。その3:お座敷野良犬ビンゴ
http://hyoryu.exblog.jp/22868698/
2014-07-02T16:35:37+09:00
2014-07-02T16:35:41+09:00
2014-06-30T21:10:25+09:00
tacca531
未分類
…と 思わずにはいられなかった。
スパークルが死んだ後 わたしの携帯には連日
犬関連の電話がじゃんじゃんかかってきた。
「スパークルと同じ頃に保護したオスがいるの
ビンゴっていうのよ。
うちのオフィスで 2匹でずっと遊んでたわ。
彼女の友達だったのよ。
だから ぜひお宅で引き取って欲しいの」
「うちでスパークルを預かってた時に
もう1匹の保護犬と仲良くしていたんだけど
その子はどうかしら?
本当は2匹一緒に引き取ってもらいたかったくらいなの。
スパークルが亡くなって寂しいでしょうけど
悲しみを乗り越えるには 新しい犬を迎えるのが一番なのよ」
何しろ ひと月で2匹の子犬を看取ったのだ。
犬コロとはいえ 命の最期を立て続けにを見届けた私たちは
さすがに 疲れ果てていた。
おりしも1月半ばから 色々と忙しい日々が続いていて
特に犬好きでもないのに 私に振り回されていた相方は
「ちょっと今は コレ以上抱え込むの 絶対無理!」
という状態まで 追い詰められていた。
愛護団体も 無理強いして犬をすすめてくるわけではない。
確かに ペットロスに効く薬は ペットしかないだろうから
あくまでも これは善意なのだとわかっていた。
スパークルのようなケースは 団体始まって以来 初めてだったらしい。
彼女の具合が悪くなってからも マメに様子を聞いてくれ
最後は 埋葬の準備も整えてくれた。
私たちの疲労も 十分わかっているはずだ。
それでも しょっちゅう メールや電話がかかってくる。
つまり それだけ保護犬の貰い手が見つかるのは 稀なことなのだろう。
必死なのだ。
後で聞いた話だけれど
デリーの動物シェルター(何ヶ所かある)に入った子犬が生き残る確率は
2割程度なのだそうだ。
大方 うちにいた2匹のように 感染症で死んでしまう。
せっかく保護されても 生き残れないなんてね。
つまり路上で 自由かつ自力で生きている野良犬たちは
かなりの強運の持ち主なんだな。
そして生き残った2割の「ラッキーな」子犬のほとんども
引き取りてが見つかることなく シェルターで生きて 死んでいく。
ラブラドールやシェパードなどの純ブリード犬が 何かの事情でシェルターに来ても
すぐに貰い手がつくらしいけれど
たまたま雑種に生まれた子たちは ほとんど見向きもされないということだ。
同じ犬なのにねえ。
さて そんな感じで協力できないのは残念だったのだが
ニンゲンも 仕事やら野暮用やら 人生を何とか生きていかなくてはならない。
「今は犬を飼い始めるには ちょっと忙しいタイミングなので…」
と 愛護団体には説明をして しばらく犬関連の連絡は控えてもらうことにした。
そして ひと月後。
ちょうど色々な案件が片付いて 一息ついた日の夜 食後のお茶など飲んでいたら
携帯にぴろ〜ん とメッセージが入った。
「うお! また犬か!」
何で まさに今日 用事が片付いたのがわかったのだろうか。
愛護団体をやるには きっと第六感も冴えてないといけないんだな。
…というわけで それがビンゴとの縁の始まりであった。
2ヶ月半も貰われない子犬がいるのだという。
独りで通りをフラフラ歩いていて 車に轢かれかけ 奇跡的に無傷で助かり
親切なボランティアに拾われて シェルターに連れて来られた オス・2ヶ月。
まだ小さくてガリガリに痩せていたから ここでは生き残れないだろうと
一時預かり先で育てられて 里親募集をしていたものの
一向に貰い手が見つからないのだそうだ。
↑生後2ヶ月のビンゴ
↑生後3ヶ月半 すでにおっさん顔だ。
預かり先のお宅にお邪魔して 初めて会った印象は
「子犬と呼ぶには デカすぎる!」
…であった。
生後4ヶ月半で すでにかなり育っていたのだ。
オスだから おそらく まだまだ大きくなるはずだ。
そもそも小柄なメスが欲しかったはずなんだけどな。
狭い我が家で 大丈夫だろうか。
病気になったりしたら 抱いて運べるだろうか。
毎日たくさん食べて たくさん運動させないといけないんだろうな。
と 色々心配はあったものの 結局うちに迎え入れることになった。
会うと決めた時から 半分「これが縁というやつか」と
諦めにも似た気持ちがあったんだけどね。
(ちなみにウチに決まらなかったら 海外に送る
という計画もされていたらしい
動物愛護もワールドワイドなのだ スゴイ)
すでに体重は13キロあり 歯が生え変わる時期で 色んな物を噛んで破壊しまくる。
おもちゃは3日と持たない。
新しい環境でのストレスと 反抗期らしきものが重なっていた。
推定4ヶ月半だったが いっちょ前にマウンティングも始めていて
わたしの脚は すぐに爪と歯の痕で 生傷だらけになった。
ものすごく「野良犬っぽい犬」だと思う。言いかえれば野生的ってことかも。
「お座り」も「お手」も わりとすぐおぼえたけれど
ニンゲンに服従することは 全然好きじゃない。
ニンゲンと遊ぶより 犬同士でガウガウ激しく遊ぶ方が楽しい。
外に出かけると 「まだ遊ぶ!」と 家になかなか帰りたがらない。
いっそこのまま 外で暮らした方がもしかしたら幸せなんじゃ?
…などと 思うこともしょっちゅうあるものの
ビンゴが我が家に来て 4ヶ月余り。
いつの間にか なんとなく 我が家の一員となっている。
ビンゴの育犬が大変なのは 多分 3匹分だからだ。
食べて 寝て 遊んで 壊して と
まったくニンゲンの役には立っていないのだけど
(吠えないので 全然番犬にはならない)
ちょっとくらいおバカでワガママでも 元気でいてくれるのが何よりありがたい。
今日も 元気で良かったよ。
明日も その調子。
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犬。その2:黒犬女子スパークル
http://hyoryu.exblog.jp/22830776/
2014-06-27T20:35:06+09:00
2014-06-27T20:35:24+09:00
2014-06-24T21:16:05+09:00
tacca531
いろいろ
黒い犬は 貰い手がなかなか付かないのだそうだ。
理由は良くわからないけれど インドでは「黒は縁起が悪い」からだと
以前 何かの記事に書いてあった。
そして飼い犬においては オスが圧倒的にメスより好まれるらしい。
それも理由は良くわからないけれど インドでは確かに顕著な傾向だ。
わたしは特にフェミニストじゃないけれど 同じ女性として
これは正直 気持ちの悪い話だ。
この国では ニンゲンの子供だって 男の方が女より多いのだ。
こんな男尊女卑と インド人のマッチョ好きに 正直げんなりすることも多いから
犬を飼うなら わたしは絶対 メスにしようと決めていた。
(それに 家庭内に同性が多いほうが何かと有利だろう きっと)
それでもって できることなら黒い子を飼おうと。
名無しのぼくちゃんが死んで しばらくした年の暮れ
デリーのとある動物愛護団体が 里親募集をかけていた中に
生後3ヶ月の 黒いメスを見つけた。
一時預かり先を転々としているけれど 引き取り手が見つからなかったら
来週にでも 動物シェルターに戻さないといけないという。
あら どうして こんなに美人さんなのに。
勿体ないじゃないか。
そしてお正月明け 黒犬女子スパークルがやって来た。
ぼくちゃんのウィルスがまだ生きているかも ということで
家中を漂白剤で拭き掃除して バタバタとその日を迎えた。
生後2ヶ月の頃 愛護団体のオフィスの目の前で 団体代表に保護されたという。
ラッキーだったね。
母犬とはぐれ 他の犬に苛められ ガリガリに痩せていたらしい。
うちに来た時は 3ヶ月半くらいだった。
脚がスラっと長くて 黒い毛がツヤツヤ。大きくなったら悪女になりそうだわ。
身体は小さいけれど 気は強くて 近所の野良犬たちにも平気で跳びかかるお転婆だった。
けれど スパークルは 結局一週間しか我が家に居なかった。
呼びにくいから 日本名を付けなきゃね と言っていた矢先
突然 元気がなくなって ジステンパーウイルスに感染しているのが判明。
犬を飼っている人なら 誰でも知ってる 怖い病気だ。
一回目のジステンパー予防接種を済ませていたのにも関わらず
ウィルス感染していたのだ。
おそらく その前にすでに感染していたのではないか という話だった。
症状は あっという間に進んでいった。
ジステンパーにも 特効薬はなく あまりに苦しむようなら安楽死を…
と獣医さんに言われて 呆然とした その日の夜
スパークルは息を引き取った。
食べることが大好きで ウィルスにやられてフラフラになっていても
電子レンジが チン! と鳴る音で起きだして 一生懸命ご飯を食べていた。
自分で立てなくなってからも シリンジからチキンスープをごくごく飲んだ。
痛いし 苦しかっただろうけれど 最期まで 本当にがんばった。
小さいのに 偉かった。
ニンゲンも 見習わないといけないね。
前日 短い犬生で 多分一番長く一緒に過ごしたであろう
預かり先の母娘がお見舞いに来てくれて スパークルはとても嬉しそうだった。
もう殆ど動けなくなっていたけど 彼女の表情と シッポがそう言っていた。
スパークルは 愛護団体のシェルターの敷地に 丁寧に埋葬された。
ちょうど綺麗なダリアの花が出回る時期で
黒い毛並みに似合う 珍しい鮮やかなピンクのダリアを近所で見つけて
それも一緒に埋めた。 女の子だからな。
バイバイ スパークル。 もうちょっとウチに居たらよかったのに。
その時 初めてシェルターに行ったけど 350匹も犬がいて ビビった。
羊か!ってくらいの数なんだもの。
聞いたら 犬だけじゃなくて 猫もロバも居るという。
こんなに 誰からも欲しがられない動物がいるんだなあ。。。。
そして思ったのだった。
死ぬまでに引き取る野良犬が 1匹から2匹に増えちゃったかもなあ と。
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犬。 その1:名無しのぼくちゃん
http://hyoryu.exblog.jp/22287196/
2014-06-24T17:21:00+09:00
2014-06-24T20:50:57+09:00
2014-03-18T16:47:41+09:00
tacca531
いろいろ
新年あけまして… の後が6月下旬。
放置にも程がありますわね このブログ。
気付けばデリーは 真夏! もうすぐ雨季!
で まあとにかく 暑い暑いと毎日ブツブツ言って
汗をかきかき なんとか過ごしております。
さて唐突ですが 2月の半ばにうちに犬が来ました。
名前は ビンゴといいます。
オス 生後8ヶ月くらい 雑種。
縁あって 動物愛護団体から譲り受けました。
インドに来てから 相方と植物以外の生命体と同居するのは 初めて。
図体は既にでっかいものの (20キロ弱)
まだ中身は子供なので 躾もしなきゃいけないし
ご飯たべさせて 遊んで 散歩に連れて行って…
1日があっという間に終わっていきます。
こんなに忙しいのに 犬は暇そうです。
当たり前だよね 君 無職だし…。
犬が来てからのてんやわんやで なかなかまとめられなかったけれど
ビンゴを迎える前に 実は 2匹の子犬の物語がありまして。
どこにでもいる犬コロの話だけれど 忘れないように
ブログに書いておこうと思います。
名無しを連れ帰ったのは 去年の12月。
その日はどうも体調が悪く 寝不足でフラフラしていた。
買い物ついでに ユキちゃんの産んだ子犬たちに ビスケットでもあげようと
公園の中を通ったら 8匹のうちの1匹が かなり弱っていた。
逃げるのを捕まえて 抱き上げたら いきなりゲロゲロ。
自分も具合が良くなかったせいか 気の毒で どうしてもそのまま置いてこれなかった。
多分 生後2ヶ月くらいのはずだ。
小さい歯が生えてきているけれど まだ完全には離乳していない。
近所の獣医に連れて行って 点滴と注射をしてもらった。
2,3日したら きっと元気になるだろう。
そうしたら ユキちゃんと兄弟のところに戻そう。
それまで まあダンボールの家で悪いけど ゆっくりしていきなよ。
名前は付けなかった。 情が移ると思ったから。
でも「名無し」って呼ぶのもなんだから わたしは「ぼくちゃん」と呼んでいた。
8匹兄弟の中では サイズで言ったら「次男坊」だった。
歯が生えてきて痛いから ユキちゃんも最近 ミルクをあげたがらない。
近所の人たちから 毎日ミルクやパンをもらって生き延びていたから
名無しは幼いながらも ニンゲンに従うことを学んでいた。
ウンチもシッコも すぐ新聞紙の上でするようになって
出した後「出た〜!」と 教えに来るようになった。
4、5日ほどして熱も下がり 下痢も止まったので
元の住処の公園に連れて行ったら 母と兄弟とじゃれ合って とても嬉しそうだった。
予防接種と虫下しができそうなら してから公園に返そうと思っていたら
突然 また具合が悪くなった。
今度はパルボウイルスという たちの悪いのに感染していた。
今思えば 病み上がりに公園に連れて行ったのがいけなかった とも思う。
病名がわかったころには 嘔吐だけでなく 血尿・血便も始まっていた。
調べたら 致死率がとても高い感染症で 対症療法しかない と書いてある。
まさか? と思った。
まさか だってまだ 生まれて2ヶ月しかたってないのに。
まだ 2ヶ月しか この世に生きてないのに。
まさか 死ぬわけないじゃん。
名無しにとっては 痛くて怖い 朝晩の点滴と注射が続き
うちに来て ちょうど10日経った日の真夜中 苦しそうな呼吸が止まった。
ぼくちゃーん と 呼んでももう動かない。
知らない家に連れて来られて 知らないニンゲンの家で闘病して
不安だっただろうなあ
家族と一緒に 居たかっただろうなあ。
お世話になった獣医さんに聞いたら
この辺りじゃペット霊園はもちろん 焼却場もないので
通常 動物の死骸は 公園なんかに埋めているとのこと。
早く土に還るように 死骸には塩をかけるように と言われた。
翌朝 コロニーの門番のお兄ちゃんに穴を掘ってもらって
住処だった公園に 名無しを埋めた。
看病で走り回っていた間に 多分同じ病だったのだろう(感染るのだ)
兄弟たちも次々と死んでしまったらしく
早朝の埋葬を見物に来たのは 母犬ユキちゃんと一年上の姉チビと
生き残った兄弟2匹だけだった
でも もう寂しくないね
注射も点滴もないから ゆっくり休みなね
門番のお兄ちゃんが 「残った兄弟どちらか 飼ったらいい」
と言ってくれたけれど 結局 どちらも選べなかった。
ていうか 元々 飼うつもりじゃなかったんだし。
と言いつつ わたしの心はすでに(勝手に)決まっていた。
自分が死ぬまでに 1匹は野良犬を引き取ろう と。
そうして 思ったより早く ひと月後
黒犬女子 スパークルが我が家にやって来た。
{つづく}
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2014年
http://hyoryu.exblog.jp/21807482/
2014-01-06T18:36:20+09:00
2014-01-06T18:36:12+09:00
2014-01-06T18:36:12+09:00
tacca531
いろいろ
あけましておめでとうございます。
今年もマイペースに まあ良い匙加減で力を抜きつつ
しかし元気にがんばりたいと思います。
どうぞヨロシク。
冬のベランダのお楽しみ 葉物が収穫できるようになりました。
今年は リーフレタスと水菜(去年の種の残り)に加え
大好物のルッコラが仲間入り。おいしいよ〜。
デリーの冬空は 霧でまっちろけ 寒々しいけれど
葉っぱ達には 暑いより寒い方が良いみたいです。
人間は 暑くても寒くても ブツブツ文句を言ってるけどね。
今年も我が家は 恒例の寝正月となり
お布団と合体! コタツと一心同体!
あー ぬくぬく最高。
あと2ヶ月すると また半袖シーズンだからね。
(信じられないけど)
今のうちに 飽きるほど「寒い寒い!」と言っておこうと思います。
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あかときいろと
http://hyoryu.exblog.jp/21459737/
2013-11-13T19:39:23+09:00
2013-11-13T19:39:15+09:00
2013-11-13T19:39:15+09:00
tacca531
佐藤兄弟と愉快な仲間たち
パプリカの収穫。
小さいけど、ちゃんとパプリカ。
この後、お昼ご飯になりました。
ごちそうさま!]]>
Diwaliが終わり
http://hyoryu.exblog.jp/21425123/
2013-11-07T15:40:52+09:00
2013-11-07T15:40:59+09:00
2013-11-07T15:40:59+09:00
tacca531
佐藤兄弟と愉快な仲間たち
ディワリのお祭りが終わりまして 急に秋めいてきました。
今朝はちょっと雨がぱらつき 肌寒いくらい。
薄暗くて ボンヤリしてて 正月ボケ気分にピッタリな雰囲気。
さて 少し涼しくなったらやろう と思ってたことをようやく完了。
『衣替え』 と 『種まき』。。。
葉物を今年も育てようと思って〜。
出てきたばかりの芽って モフモフ系でかわいらしい。
モフモフ系といえば…
ユキちゃんがまた子供を産み(今回は8匹も!)仔犬はすくすくモフモフと育っております。
この子は兄弟の中でも ボーっとしてて ちょっと心配なタイプ。
たくましく 育ちますように。
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ラソーイー・LABORATORY #9『ぷくぷくしゅわしゅわ』
http://hyoryu.exblog.jp/21240765/
2013-10-08T17:10:33+09:00
2013-10-08T17:10:11+09:00
2013-10-08T17:10:11+09:00
tacca531
食う
7月いっぱい日本に帰ってたり インドに戻ってすぐ具合悪くなったりと
色々ありましたが 何とか元気にやっております。
まだ 昼間は暑いけれども 朝晩は涼しい風が吹くようになって
デリーも 徐々に秋めいてきています。
涼しくなって 身体も気持ちも少し余裕がでてきたので
唐突ですが 研究室に入ってみました。
ブログさぼってても 食い意地は休み知らずです。
さて ワインがけっこう簡単に作れるものだって 知ってた?
わたしは 全然知らなかった。
知ってたら もっと早く試していただろうに。
自家醸造の愛好家は結構たくさん居るらしいのだけど
日本だと『酒税法』のせいで 自家製のお酒作りはかなり制限されている。
そういえば 昔どぶろく作って警察に捕まった人のニュース あったね。
逮捕されるのは困るし インドではどうなの?家でお酒作っていいの?
と 我が家の元法学部に訊いてみたところ
「さあねえ?」
ということだったので 自分で一応調べたところ
自分で作って自分で飲む分には オーケーっぽい。
というわけで いざワインを仕込みましょう。
【用意したもの】
トロピカーナの100%グレープジュース
パン用 イースト菌
お砂糖(日本では 入れると度数が上がっちゃって違法になるから 入れちゃダメ)
実験用なので 小さい300ccくらいのペットボトルに入る分だけ作ることにした。
材料を全部入れて 蓋をゆるめて室温に置くだけ。それだけ。
キッチンの片隅で しゅわしゅわ ぷくぷく と地味に発酵を続けること数日
一応 赤ワインらしきモノができあがりました。
冷蔵庫で寝かせてみると ボトルの底に 澱が沈殿。
試飲してみたけど ちゃんとワインになってる〜。味に深みも何もないけど。
で コレはお料理用に丁度良いんではないかと。
インドはワイン産出国で 酒屋に行けば いくらでも手に入るんだけれど
我が家はいつも 飲みきっちゃって 料理用になんて余らない。
よーし コレで肉を煮るぞ!
張り切って ポークを買ってきて 赤ワイン煮にしました。
山盛りマッシュポテトを付けあわせたら 見た目アイルランド風。
日本の豚バラみたいに トロトロにはならないけど おいしく出来上がりました。
次はマトンで試してみよう。
ちなみに 白ブドウジュースがあれば白ワインもできるそうなので
見つけたら そっちも試してみたい。
白ワインが上手にできたら もう日本から料理酒持ってこなくていいかも。。。
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真夏の果実
http://hyoryu.exblog.jp/20552673/
2013-06-05T17:47:08+09:00
2013-06-05T17:47:50+09:00
2013-06-05T17:47:50+09:00
tacca531
食う
長ーい眠りについておりました。
ええ 夏なので… 輪をかけてスローペースな日々です。
ドライで暑い5月が終わり ウェットで暑い6月が始まり。
朝11時から夕方4時までは 危険な暑さだから出歩かないように などと
新聞なんかにも書かれているくらいなので わたしも夏型生活に切り替え
朝早いうちに 食料などの買い物をすませて
(インドのスーパーや八百屋は 早朝から営業してるとこが多い)
夕方6時頃 近所の公園に散歩へ出かけるという日課。
その公園に 気になる木が1本ありまして。
高い枝に 青リンゴみたいな実がついているんだけど
この猛暑のデリーで まさかリンゴじゃないだろう。
それに 実が一向に熟さないみたいで 枝に何ヶ月もつきっぱなしなのだ。
鳥にも食べられてないみたいだし おいしくないのかなあ。
そんなある日
「あれは 八百屋で最近売ってる『Bael』という果物だと思う」
と 相方が言ったので 試しにそのBaelとやらを1個買ってみた。
たしかに見た目は 公園の実にそっくり。
Wikiってみたら インドだけじゃなくて東南アジア全域で育つらしく
熟れるまでに11ヶ月かかるそうで それじゃ落ちてこないわけだよね。
英語でStone apple とか Wood appleとか。
石リンゴに 木リンゴ…。
そう呼ばれるだけあって たしかに超カタイ!
ですから トンカチ登場。
食べ方を知らぬまま買ったけど これが結構大変。
まず この硬い皮を かち割ります。
ガツーン☆ とな。
中身は 黄色いねっとりした繊維質の実と 種。
見れば見るほど 変な果物だなあ…。
けれど 見た目から想像できない 花みたいな甘ーい良い香りがする。
次にスプーンで実をこそげとって 水を加えてほぐします。
かなり トロトロの液体。。。
見た目的に 微妙だなあ… と思いながらザルで濾し
砂糖とレモン汁を加えて Bael ジュースの出来上がり。
果物そのものの味は 酸味がなく甘みも薄いという 寝ぼけたお味。
ただ 香りは本当に素敵だ。
このジュースが Bael Sharbatという高貴な響きの名前で呼ばれるのも
なんとなく わかるような…。
まあしかし これを口に入れるまでの労力は結構なものなので
相方が「また飲みたい」とか言ったら 次回はトンカチ係になってもらいましょう。
果物の話が続きますが 6月と言えば…
梅 ではなくて 杏。
去年は作らずじまいだったけど 今年は有機栽培ものの杏がゲットできたので
またまた 梅干しモドキを漬けます。
一昨年漬けた分も ちょうどもうすぐなくなりそうだからね。
たくさん杏を買ったから 今年は砂糖漬けも作ることに。
インドのざらめ砂糖だけど ちゃんとできるのでしょうか…。
そして カビ防止のウォッカを買いに行って ついでにラム酒も買ったから
勢いで ラムレーズンも作ってしまいました。
シッキム産のダーク・ラム。
おいしいといいな…。
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犬自慢
http://hyoryu.exblog.jp/20272968/
2013-04-16T16:31:26+09:00
2013-04-16T16:31:45+09:00
2013-04-11T15:22:07+09:00
tacca531
いろいろ
インドに来てから それは間違いかも〜と思い始めた。
お肉屋の入り口なんかで 何かもらえるのを辛抱強く待つ『お座り犬』たちは
ビシッとお座りポーズが決まっている。
あれはお肉屋のおじさんが「お座り!」と言って教えたわけじゃないだろうから
元々 犬の待機姿勢なのかな。
それとも「お座りしてると人間から何かもらいやすい」というのを
自然に学んだのだろうか。
確かに「もらえるまで待ちます。待ってます!」と言われてるみたいで
つい 何かあげたくなってしまう。
でも『お手』はもっと難しいのだと思われ やってる野良犬を見たことはない。
「ゴールガッパー最高ー ごちそうさまー」
写真は近所のチビ。
チビといいつつ もうけっこう大きい。
住宅街に入るゲート脇のジェネラルストアの家族と
門番のお兄さんに可愛がられているメス 生後半年ちょっと。
犬は好きだけど 近所の野良犬達とは普段あまり関わりはない。
食べ物を誰かが与えているから 彼らは生きていけてるんだし
病気になっても 自分にはどうもしてあげられないからね。
現状 うちじゃ動物飼えないもんなあ。
野良の寿命はそして やっぱり短い。
外で自由に生きてるように見えても
やっぱり犬は 人間と一緒に飼い犬として暮らした方が幸せだ。
野生じゃなくて 家畜な生き物。
で チビは 白犬ユキちゃんの子供なのだった。
我が家は三つ角に面していて 犬たちの縄張り3つの境目なので
よくウチの前で 犬同士が「がうがう!」とケンカをする。
母ユキちゃんは しょっちゅう他の犬に威嚇されたり噛まれたりして
かわいそうな 苛められっ子の弱虫なのだ。
食べ物をくれる人には 遠くからパタパタと尻尾をふるけれど
警戒心が強くて 人の手から食べることはしない。
何か 痛い目にあったことがあるのかな。
そのユキちゃんが 秋の終わりに子供を産んだ。
初めてチビを見たのはもう離乳が近い頃で 兄弟は見当たらず
一人っ子状態だった。
食べ物は 毎朝毎夕 ジェネラルストアの人からもらってるみたいだけど
弱虫ユキちゃんに 子犬が守れるのだろうか… と ちょっと心配だった。
でも今のところ チビは母より天真爛漫に 逞しく育っている様子。
犬って 他の縄張りの犬でも 仔犬なら苛めたりしないのだろうか。
チビは 隣組の犬に混じって よその餌場でちゃっかり食べてたりする。
冬の寒い時期 表通りのカフェの玄関マットで寝てるチビをよく見かけた。
まだ子供だから 大目にみてもらえるのか 追い払われないみたい。
ふかふかで暖かいんだろう と思っていたけど それだけじゃなかった。
カフェの隣の 立ち食いスナックコーナーのお兄さんに覚えてもらって
しょっちゅう 割れゴールガッパーをもらっているのだ。
仔犬の特権 フル活用じゃないか…。
なんて賢いのだろう。
もちろん お兄さんの脚元で しっかり『お座りポーズ』を決めて。
見ての通りで チビは典型的インド野良の容姿をしている。
母ユキちゃんは なかなかの器量よしなのだけど
チビは仔犬のくせに 筋肉質で ぺったり短毛で 額にシワもある。
でもまあ 「かわいいね」「かわいいよ」と思い続け 言い続けると
どんな犬でも(多分猫でもくじらでも) 本当にかわいく見えるというのは
結構 真実だと思われます。
どこかに貰われないかなあ と淡い期待をしていたけど
どうもこのまま チビは野良犬生を歩んで行きそうだ。
こうなったら強くなって ユキちゃんを守ってやっておくれ。
という 今回はどうしようもない 犬自慢でした。
(うちの犬じゃないけど)
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八百屋考
http://hyoryu.exblog.jp/20237027/
2013-04-09T16:20:37+09:00
2013-04-09T16:21:11+09:00
2013-04-02T23:39:19+09:00
tacca531
いろいろ
楽しむ余裕がないまま終了してしまった。あーあ。
だいたいホーリーとディワリのあたりって、
相方か自分のどちらかが具合悪くて、寝てるパターンが多い。
季節のかわり目だからね。
今年も見事に寝ホーリーでございました。ああ、良く寝た〜。
さて、ベランダで育てていた葉物野菜(レタス、春菊、水菜)は、
ここ数週間のうちに全部撤収してしまった。
気温の上昇と共に、どこからともなくやって来る虫にやられてしまい。。。
夏の家庭菜園は、なかなか大変であります。
観察の結果、うちのベランダには、
アブラムシ
ハモグリバエ
ハダニ
の、御三方さんがいらっしゃっている様子。
皆さん、虫界ではメジャーみたいです。
こんな零細ガーデナーのところに来るんだもの、
本格的な農家の畑だって、きっとたくさん来るんだろうな。
インドの野菜、農薬使用が色々問題になっているんだけれど、
虫対策は確かに農家にとっては大変だろうなあ…。
アブラムシがべったり付いた葉っぱを見つけちゃった時なんか、
ギャー!って殺虫スプレーしたい衝動に駆られたもの。
(結局ガムテープでぺたぺた取りました)
けれど、夏が長くて害虫が元気モリモリであろうインドで、
知恵をしぼって無農薬野菜を作ってる農家もあって、
その人達の手間暇や苦労がちょっと実感できただけでも、
ベランダ園芸を始めた価値があったのでは、と最近思うのだった。
ところで、うちの近所にはわりと充実した野菜市場がありまして。
小さい八百屋がずらっと軒を連ねていて、
大抵の野菜はここで手に入れることができて便利。
が、最近わたしが買い物するのはもっぱら…
こちら、Safalさん。
牛乳屋さんのMother Dairyと同系列の、昔からあるチェーンの八百屋。
セルフで欲しい野菜をカゴに入れ、レジで計量して支払う方式で、
お値段は市場やカートで売りに来る八百屋よりも安い。
ただし、売られている野菜や果物の質や種類は、
はっきり言って野菜市場の足元にも及ばない。
きゅうりは曲がってたり育ちすぎたりしてるし、
トマトは日によってはまだ青くてカチカチだったりする。
お安いとはいえ、なんでここで買い物をしているのかというと。。。
実は、元々わたしはここに「バナナだけ」を買いに来ていたのだった…。
(たまにマンゴーも)
何年か前、インドで果物の追熟に使われている薬品が人体に良くない、
というのがニュースになった時、
『うちのは安全なエチレンガス使ってますよ〜』
と広告をドーンと出してたのがSafalさんだったから。
しばらくの間、せっせとバナナだけを買いに通っていたけれど、
周りでか・な・り!真剣に野菜を選んでいる主婦の皆さんを見ているうちに、
何だかそれがとっても「まっとう」な事に思えてきたのだった。
野菜市場では、多かれ少なかれ『オーバーチャージ』がつきもので、
いつも「まー外国人だし、ある程度は仕方なかろー」、
と半分白目をむいて見ないフリをしつつ…の買い物をしなくてはいけない。
個別に値段表示されてないから、いちいち「これいくら?」と確認し、
リサーチをかねて何軒かはしごする、というのも大概疲れる。
顔見知りのお店が代替わりして息子が仕切り始めたら、
お会計がいきなり2倍ちかくになった、ということもあった。
近年のインドの物価上昇はすさまじいものがあって、
野菜を買うのも、何年か前の数倍は楽々かかるようになってきている。
一方では、「農家が『卸値が安すぎる』のに反発してデモ」、
というニュースがしょっちゅう新聞に載っていて、
一体どこの誰が利益をむさぼっているのだろうなーと。
(いわゆる仲買業者ですね)
そりゃ大根が10ルピーでも50ルピーでも、
本当に必要なら買うんだけどね。
買える人は。
でも「買う人がいるんだからどんな値段で売ってもいい」
とか、「買えなかったら、買わなければいい」
というのは違うだろう。
特に野菜なんて、どんな人にとっても必需品なんだもの。
農村で野菜作ってる人たちは、売る先を選ぶ余地もないのだ。
それじゃ、買う人であるわたしは、選べるなら選びたい。
ホントは農家から直接買えると一番いいんだけど、
日本みたいに住宅地のすぐ隣が畑、なわけではないから無理。
(日本によくある『野菜直売所』ってのは、素晴らしいね〜)
で、Safalさん。
ベストではないけれども、ベターなのではないかと。
一応「作る側も買う側も、フェアな値段で」
…が経営理念だそうだから(どんだけ健全な経営してるかは不明だけど)、
多少ニンジンが筋っぽくても、ナスがいびつでも、
ま、いいか〜。
どうせ違いがわからない女だもの〜。
でもね、悪いことばかりではなくて、ここで買い物するようになってから、
『旬の野菜』が何かが、嫌でもわかるようになったのだった。
あら、オクラがやっとキレイなのが入りはじめたねー、とか、
安いから皆グリーンピースをキロ買いだなー、とか。
市場の野菜はいつでも新鮮・キレイなので、
そんなの無頓着に買い物してたダメ主婦だったもので。
野菜の種類も増やす努力をしているみたいで、
ズッキーニとか入荷してると「やるわね!」と、つい買ってしまう。
最近は野菜や果物だけでなく、乾燥豆とか砂糖、スパイス、
ジャム、ジュースやポテチまで売り始めて、
「うちのバナナ屋」から「うちのスーパー」に変貌しつつある。
あとは卵を売ってくれるといいのになーと思うんだけど、
さすがにノンベジ商品は無理なんだろうかなー。
手に入らないものは市場に買いに出かけるけど、
一品二品買うくらいだったら、値段チェックもそんなに大変じゃない。
Safalさんで節約できた分、たまに有機野菜を注文したり。
ある日どうしても葡萄をモリモリ食べたくなって、宅配有機ベジを頼んだ。
(葡萄が好物)
たくさんあったから、少しトマトとあわせてサラダに。
葡萄はサラダで食べてもおいしい〜。オススメ。
ま、こんな変わりメニューはめったに作らないし、
毎日の献立はいよいよ質素になりつつある。
(元々粗食なのに…)
暇・偏屈・物好きさも加わって、一気に「ばあさん化」が進みそうだ。
が、「これでいいのだ〜」と歌いながら買い物するために、
これからもSafalさんに通う日々が続いていく予感。
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まだまだ
http://hyoryu.exblog.jp/20183748/
2013-03-21T19:12:11+09:00
2013-03-21T19:12:23+09:00
2013-03-21T14:05:05+09:00
tacca531
食う
まだまだデリーの春は続いております。(しつこいぞ)
だって今年はホーリーのお祭りが27日だから、
それまでは夏にならないはずなんだもの。
ちなみにホーリー祭は色粉、色水をかけあうお祭りで、
夏の到来を意味するのだけれど、
『無礼講』の名の下に、
この日は誰でも一緒にドロドロになって遊んで良いことになっている。
そんな1日限りの無礼講よりも、
常日頃の差別や格差をなくした方がいいだろうに。
と、ブツブツ言ってる反ホーリー派なわたしだけれど、
要はあの色粉が嫌いなのだった。
(だって付いたら落ちないんだよ〜)
随分前にヒンディ語学校の先生が、
「昔のホーリーは、今みたいにドロドロじゃなかったのよ」
と言って、子供の頃地方の田舎で行われていたホーリーの話をしてくれた。
その田舎では、ホーリーの日の朝、子どもたちは花を集めに山に出かけて行き、
お母さんたちは大きなお鍋にお湯を沸かして待っている。
子どもたちが集めた花をお鍋に入れて、煮出して色を出し、
そのまだ温かな水を掛けあってお祝いしていたのだそうな。
「色はうっすらとしか出ないけど、花の香りがして、良いホーリーだった」
…と。
風情があって素敵だなあと思った。
そういうホーリーなら、水掛け合いっこもいいかも。
実際はそろそろ出歩く時に、
どこかの家から思いっきり飛んでくる水風船を警戒しないといけない、
そんな時期を迎えているデリーであります。
うちの近所は特に危険区域なので、油断禁物。
だいたい春とか秋というのは、
暑くも寒くもなく過ごしやすくてぼんやりしていると、
いかにも『あっという間に』終わりすぎる。
今年もなんだか部屋からあまり出ないまま終わりそうだったので、
これはイカンと出かけてみた。
来た先は夕暮れ時のDilli Haat。
またしても『屋台メシ』関連イベント。
相方と出かける先々は、かなりの割合で屋台メシ関連な気がする…。
今回はビハール州の日を記念した、ビハール屋台メシ特集。
舞台では、歌や寸劇っぽいものをやってて、
平日とはいえそれなりに盛り上がっておりました。
屋台の業者さんのための組合が企画してることもあって、
みんなキャップを被ったり衛生面も気をつけてる様子。
普段からこうなったら良いですなあ。
上の句がビハールなら、下の句は『リッティー・チョーカー』、
と言えるほど代表的なスナックらしくて、
何店もコレを作って出していた。
ここのはまん丸でちょっと可愛い。
これをギー(精製バター)にどぷっと浸して、
チャトゥニーと共にくずしながら食べます。
好きな味。
チキンフライもクリスピーで、見た目より全然辛くなくて、
おいしかった。
この手のイベントなので値段設定は高めの、50ルピー/ピース。
うーむ、KFC並ですね。
でもKFCを食べると最近必ず胸焼けして、老化を嘆いていた私だけれど、
コレは大丈夫だった。
手前:チキン・プラオ(炊き込みご飯)
奥:チキン・コルマ(カシューナッツ入りグレイビー鶏カレー)
どっちも辛さ控えめで、大変おいしゅうございました。
摂取カロリーはもう考えないことにして、
ひたすら食べ続ける2人。
デザートは、ジャレビー。
頭いたくなる程の甘みではないけど、シロップは大量にじゅわー。
揚げたてをもらって、熱々をいただいた。
美味しい南インドコーヒーも飲んで、お腹はちきれそう!
真夏が来たら、さすがの私たちも屋台メシは控えねばならないので、
今日は食べ納めでもあった気がする。
また秋に会う日まで〜…。
さて、おまけのコレはジャレビーのお店で、
看板代わりになっていた特大ジャレビー。
さすがにシロップには漬けてないけど、上手に作ってあってかわいい。
ああ、春って素敵。
ホーリーまでキャンペーンは続きます。ふっ。
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